合理的な説明をするにあたり、『合理的な学説に必要な要素(1):客観性』では客観性が重要という話をしました。今回は「一貫性(一般性)」についてです。
とりあえず言葉ではわかりづいらいので、例で説明します。ここに、「都道府県名が入力されると、何らかの法則に基づいて自治体名を出力するプログラム」があったとして、以下のようなことがわかっているとします。
このプログラムの挙動について、以下のような解釈が考えられます。両方の解釈とも、既知の情報とは矛盾していません。
- 入力が海無し県ならば県庁所在地を出力し、海に面する県ならば面積最大の市町村を出力する
- 入力された県のなかで人口最大の市を出力する。
1.は入力県が海に面しているかどうかで別の挙動をしていると解釈しているのに対して、2.はそのような場合分けの必要がない解釈を行っています。言い換えれば、2.はわかっている4つの例全てを一貫して同じように説明できています。これがここでいう一貫性です。
1.は、2.の解釈では一つの現象として説明できる4例を2例ずつに分けて別個に説明しており、「単純なものを複雑化」してしまっている例です。私達は今ある情報を最も自然に説明しなければなりません。「単純なものを複雑化」する行為、すなわち一貫性のない解釈は不合理です。
こうした一貫性のない解釈において、たとえばここでは「海に面しているかどうか」で分けましたが、このような「場合分け基準」もしばしば恣意的になりがちです。これは、結果ありきの考えや旧説の呪縛に由来していることがあります。例えば、当初は「埼玉県→さいたま市」と「長野県→長野市」の情報のみであったために「県庁所在地を出力する」と考えたが、後に「福島県→いわき市」「静岡県→浜松市」の例がでてきてしまい修正を迫られたものの「県庁所在地」という考えを固守したいがために新情報は別パターン(例外)として処理する、そのためにとりあえず「海に面しているかどうか」という理由を持ってくる、といった流れです。
47例のうち1例だけがあてはまらない場合ならまだしも、4例のうち2例を例外と考えるのは不合理、という言い方もできます。
以下いわゆる字源説の例を2つ挙げます。
漢字はほとんどが形声字といわれています。その数は70%とか80%とか言われていますが、ともかく過半数を超える漢字が音の近い別の字に従っているという事実があるため、多くの字の一部分は語の発音を表している部分として説明ができるということです。
こうした状況の中で、もし同様に形声字と説明できる字に対して異なる解釈をすれば――例えば「蚊」字中の「文」を声符ではなく虫の羽音に由来すると解釈する等――一貫性を欠き、即ち合理性がなく信用できません。なぜ同じ状況下の多数派から分離するのでしょうか?なぜ形声字であることが否定されるのでしょうか?私達は、無意味に(かつ無根拠に)仮定を増やすべきではありません。
殷墟甲骨文において「合」字は以下のように書かれます。見てわかるように、上下対称形になっています。右の二例は刻写の便のため上部が「∩」形から「∧」形に変化しています。
また殷墟甲骨文において「令」字と「食」字はそれぞれ以下のように書かれます。
上図のように、「合」の上部・「令」の上部・「食」の上部および「合」の下部の反転形は同じ形です。これに対して、現行の漢和辞典は以下のように解釈しています。
『新字源』 | 『漢字源』 | 『新漢語林』 | |
---|---|---|---|
「合」上部 | 意符「亼」(集まる) | 蓋の形 | 蓋の形 |
「令」上部 | 意符「亼」(集める) | 意符「亼」(集める) | 意符「亼」(集める) または冠の形 |
「食」上部 | 蓋の形 | 意符「亼」(集める) | 蓋の形 |
「合」下部 | 器の口の形 | 穴あるいは器の形 | 器の形 |
いずれの辞典とも、各字の形をいきあたりばったりに・恣意的に・好き好きに解釈した結果、同じ形であるはずの部品に対して複数の異なる解釈を行っており、これも一貫性を完全に失っている例といえます。
注目すべきは「合」字で、この字が同じ部品を上下対称に向かい合わせた形であることに着目すると、これが何の象形であっても「合う」という意味であることは説明できますが、(特に『新字源』のように)それぞれ別の部品と解釈するのは不合理です。この「合」の下部は、多くの人がよく知る口舌の「口」字と完全に同じ形であり、したがって、「合」の上部・「令」の上部・「食」の上部もまた「口」と解釈するのが最も自然です。{令}と{食}はともに口に関する動作ですから、「口」に従うのは当然のことです。