古代漢字学習ブログ @kanji_jigen

古文字(古代の漢字)の研究に関するメモ

「安」字の字源

「安」字は究極的には「」字に由来する。「」字は上古漢語{安 *ʔˤan 座る}の表語文字で、図形的には、座った人の脚部に敷物を描いた短い筆画(あるいは座った姿勢を強調するための抽象的な記号)を添えた形である。「」字に意味分類符「宀」を加えて「」の形となり、画を省略して「安」の形となった。
甲骨金文では「安」字が「(宀+女)」と書かれたことはなく、「宀+女」から構成される甲骨文字の「」は「安」字とは関係がない。日本民間字源学者が現在でも提唱している「女性が家の中にいる」式の説明は誤りである。

 

以下、第1節では《説文》にはじまる「女性が家の中にいる」式の説明を含む初期の憶説を紹介する。第2節では「安」字がかつては単純な「宀+女」という構造ではなく、それに加えて短い筆画が添えられていたことを示し、その解釈の歴史を振り返る。第3節と第4節では、それぞれ、単純な「宀+女」という構造を持つ甲骨文字、「宀」を持たず「女」と追加の筆画だけで構成される戦国文字、という「安」に関連するとされる2つの文字を紹介する。以上を踏まえて、第5節では陳劍(2005)の成果を整理する。第6節は結論である。最後に第7節では日本民間字源学の現状を確認する。

[2023/05/27: 第6節を更新]

 


1. 初期の憶説

説文小篆の「安」

「安」字の形について《説文》は「从女在宀中」(『漢辞海』の訳:「女」が「宀(=いえ)」の下にあるようすから構成される)とだけ書いている。《説文》の多くの記述がそうであるように、この記述は単に「文字の形、書き方」の(教育的、共時的)説明なのか、いわゆる「文字の成り立ち、由来」への(歴史的、通時的)説明なのかは曖昧である。ほとんどの説文学者は(それに関心がある限り)後者として受け取ったようである(丁福保1928: 3229 等を参照)。すなわち、この文字は図形的に「女性が家の中で安静にしている様子」「女性が家の中にいる安定した状態」を描いていると理解された。例えば《繫傳》は補足として《詩・邶風・燕燕》「之子於歸,遠送于野。」を引用している。女が家を出ていくことは大事であるから、逆に家内に留まっているのは安定の象徴であると考えたようである。

《聲訂》と《原始》は「宀」が声符を兼ねると考えた。齊沖天&齊小乎(2010: 507)は21世紀になってもこの考えに賛意を示している。馬敘倫(1957: 14. 22-23)、高鴻縉(1960/2008: 511)は「女」が声符を兼ねると考えた。

2. 「安」の古文字字形に見られる「余分な」筆画

2.1 小篆

秦権量の「安」字

《説文》が掲出した小篆の形と「宀+女」という単純な説明は、実際に書かれた小篆の形とは異なる。秦権量(秦が紀元前221年に中国を統一した際に度量衡単位を統一するために各所に配布した原器)に刻まれた、実際の「安」の文字は説文小篆よりも一画多く、「女」の右側に縦画が書かれている。秦権量は知られている限り最も早くは6世紀に出土資料として発見されており、以降現在に至るまで数十件発見されているが、全てこの字体が用いられている。

秦権量以外にも同様の形で書かれた篆書の「安」字は複数発見されており、元代に編纂された篆書字典《增廣鐘鼎篆韻》にはそのいくつかが記録されている。

2.2 西周金文

西周金文の「安」字に見られる短い筆画

実際に書かれた小篆の形と同様に、西周金文の「安」字にも、「女」の右下付近に短い筆画が添えられている。清代になって金文研究が盛んになったが、多くの研究者がこの筆画に注意を払わず、場合によっては模写の際に見落とした

西周金文の「安」字と初期の金文研究者による模写の例(赤枠は筆画を見落としたもの)

なお、吴大澂(1896: 7. 6)、丁佛言(1924: 7. 7)、強運開(1935: 7. 8)は同様の形をした春秋・戦国時代の金文および貨幣や璽印の「安」字を多数記録しているが、文字の形についてのコメントはない。

2.3 甲骨文

《後》上9.13=《合集》37568

甲骨文の「安」字は1916年に発表された拓片(《後》上9.13)で始めて確認され、王襄(1920: 36)、商承祚(1923: 7. 12)、高田(1925: 71. 20-23)によって同定された。この文字にも右下に短い筆画が存在する

《簠》雜92=《續》5.6.1=《合集》5373

この筆画は1925年に発表された拓片(《簠》雜92)で確認された文字にも見られる。

2.4 謎の筆画の解釈

19世紀末~20世紀初頭になって、少数の研究者がこの筆画について明確に言及するようになった。朴瑄壽(1912: 7. 21)はこれを声符「𠃉」と考えた。林義光(1920: 6. 19)は、「保」字の金文の形の右下の画(同書2. 11で乳児のオムツを描いた線と解釈されている)と関連付けながら、敷物を描いた線と解釈した高田(1925: 71. 20-23)は、この筆画が古文字に(ほぼ)例外なく存在すること、この筆画を持たない単純な「宀+女」の字体は後代の省略によるものであること、したがって「女性が家の中にいる」式の解釈が不適であることを指摘している。高田は代わりに、戦国時代の貨幣(方足小布)の極めて省略された字形を根拠にして、この文字を「宀+民」と解釈したが、これは不可解である。戴君仁(1964)は林義光と同様にこの筆画を敷物と解釈し、さらに「安」字中の「女」はここでは単に座っている人であり性別は関係ないと加えている羅君惕(2013: 3731)は1970年代までに書かれた手稿で、敷物の解釈と、「宀+女」の字体が省略によるものであることを記している。加藤(1970)も「宀+女」の字体が省略によるものと考えて「この字を解くに、「宀」と「女」だけで何とか説明するだけでは、十分と言えない」と述べ、林義光の説に賛同した(加えて「宀」が声符という《聲訂》の憶説と字形を月経に絡めた空想を述べている)。

このほか、白川静(1969/2002: 1498-1499)は敷物の解釈を参照し、「安」字について女子に対して敷物を與える儀礼と解釈した。白川静は多くの文字の形(および単語の語源、彼はこの2つを通常区別しない)を祭祀儀礼に結びつけることを好んだ。康殷(1979: 326)は、この筆画の意図は明らかではないとしながらも、甲骨文に見られる「⿳宀女止」という文字の「止」に由来する(すなわち「安」字は「⿳宀女止」字の略体である)可能性を提案した。Boltz(1994: 106-110)はこの筆画が満足に説明されたことはないと嘆き、これは敷物の形であると同時に声符でもあると主張した。後者の声符という解釈は、漢字が図形的に複数のパーツに分けられる場合そのどちらかは必ず声符である(すなわち合体象形字や会意字は存在しない)というBoltzの信条に由来する。

短い筆画を重視した研究者に対して、于省吾(1979: 378-379)、李孝定(1982: 287)、陳初生(1987: 732)、何琳儀(1998: 964、また 1989: 229, 230 も参照)、張世超等(1996: 1829)、黄德寬(2007: 2536)、張玉金(李學勤2012: 657)、鍾林(2017: 913)など多くの研究者は問題の筆画を後天的に付加された「飾筆」と解釈し、したがって単純な「宀+女」の構造こそが初形であると考え、《説文》以来の「女性が家の中にいる」式の解釈を保持した

その他の、この筆画について何のコメントもない文献(そのほとんどは「女性が家の中にいる」式の解釈を提示する)については本稿で触れる価値はない。

3. “余分”な筆画を持たない甲骨文の「安」

多くの研究者、特に問題の筆画を「飾筆」とみなした研究者は、「飾筆」を持たない形の甲骨文字を引用している

《拾》10.16=《合集》18062

この単純な「宀+女」構造を持つ甲骨文字は、最も早くは1925年に発表された拓片(《拾》10.16)で確認され、葉玉森(1925)および孫海波(1934: 7. 14)によって「安」字と同定された。

4. 「宀」が“省略”された「安」字

春秋・戦国時代、特に楚地域では、「宀」要素を持たず、「女」と追加の筆画のみで構成された文字が使われている

者𣱼鐘(模写)、曾侯乙墓165、望山楚簡2.8

研究史上初めて確認されたこの類の文字は、者𣱼鐘(《銘圖》15334, 15338, 15341)のもので、郭沫若(1958: 4)によって「安」の略体と同定された。続いて曾侯乙墓竹簡(湖北省博物館1989: 507 n. 39, 527 n. 235)、望山楚簡(湖北省文物考古研究所&北京大學中文系1995: 118 n. 36)で確認されている。

5. 陳劍(2005)の成果

陳劍(2005)は「安」字の古文字字形について整理を行い、「女性が家の中にいる」式の解釈を否定した。以下ではその成果のうち特に重要な部分について整理する。

5.1 甲骨文の「安」について

甲骨文に見られる、「飾筆」を持たず単純な「宀+女」構造を持つ文字は、「安」字とは無関係の別字である

例えば、《拾》10.16の亀版は左右で対となっており、ここに書かれたとは、同じ単語を表す異体字のペアと解釈されなければならない。後者の文字は古くから認識されている(王襄1920: 56、商承祚1923: 12. 6、羅振玉1927: 中21、孫海波1934: 12. 8)ように、といった文字の異体字であり、これらは今日の「賓」字と関連する文字である。したがってもまた「賓」字の古い異体字であり、決して「安」字の初形ではないその他の「飾筆」を持たない「安」とされている字や、複数の点を含むの類の字も、用法から同様に「賓」の古い異体字であることが確認できる(島1975: 381、丁驌1971、雷煥章1998a、1998b、1998c: 171-174 も参照)。

このほか、一部の研究者が引用する西周金文の「飾筆」を持たない形は単に研究者が模写の際に見逃したものである(2.2項参照)。したがって、高田や羅君惕の言う通り(2.4項参照)、「安」字の甲骨金文には例外なく「宀」「女」に加えて筆画が存在し、それは後天的に付加されて書かれたり書かれなかったりした「飾筆」ではなく(「女」を含む他の文字にこのような「飾筆」の類例は無い)、当初から存在する筆画である。漢代には例の筆画が省略されて「安」字は単純な「宀+女」の字体となったが、その頃には「賓」の異体字である「宀+女」はとうに死字となっていたため混乱を招くことはなかった。

5.2 「宀」のない「安」字について

「宀」を持たないの類の文字は、殷墟甲骨文(山東大學東方考古研究中心等2003、方輝2003)や西周金文(中國社會科學院考古研究所等1984、《銘圖》16389)にも確認される

大辛莊T2302[5]B:1、燕侯戈

また、他の文字の部品としても利用されている。

保𫹌母簋(《銘圖》4658)、燕侯簋(《銘圖》4440)

したがって、の類の文字は「安」の略字ではなく、古くから存在する独立した文字であり、「安」字は「+宀」からなる文字である。「匽」字は《説文》で「从匸,妟聲。」とされているが、表音文字 Ɂan」+「日」から構成される文字と解釈するべきである。

5.3 「安」字の字源について

」字はその形音より、{安 *ʔˤan 座る}の表語文字と考えられる。この単語は《逸周書・度邑》「安:予告汝。」(莊述祖云「安,坐也。」)などに確認できる。「安」字は「」字に「宀」を添加した繁体である

陳劍(2005: 356)はの脚部に見られる筆画を、安静にした姿勢を示す抽象的な記号と解釈しているが、同論文が陳劍(2007: 117)に再録された際には裘錫圭による「敷物」という解釈(林義光と同様)を追加している

陳劍(2005)が触れなかった新出資料中に、「」の「女」を「卩」に変えた異体字が発見されている(孫亞冰2014: 153 n. 7、禹劍2020: 142-146)。表語文字の図形において、「卩」と「女」はしばしば交替する(陳劍2005: 351、劉釗2006/2011: 42)。

《花東》285

すなわち、」および「安」字には「女」が含まれるが、座るという行為・姿勢に重点が置かれているのであって、戴君仁の言う通り性別を指定するものではない

6. 結論

陳劍(2005)の成果と考察は、以降学界では定説となっている(季旭昇2014: 592-593、徐超2022: 1-2)。葛亮(2022)は、漢字の本義を探る際には最も初期の字形に基づかなくてはならないという教訓の教科書的例として陳劍(2005)の成果をとりあげている。

「安」字の「宀」はあとから追加された意味分類符であり、象形文字の構成要素ではない。したがって「家の中で○○する形」の象形文字と解釈するのは看図説話の誤りである。「安」はまず表語文字」と意味分類符「宀」の2つの書記素に分解しなければならない。

{安 *ʔˤan}という単語の「座る」という意味と「やすらか」という意味は関連がある(後者は前者から派生した)と思われるため、「」字を「女性がやすらかにしている形」と表現するのは大きな間違いではないが、「座る」の方がより直接的である。

また、「女性が○○している形」という表現は「図形には女性が描かれているがそこに意図はない(例えば男性でも良かった)」ことを加えなければ、「女性」と「座る、安らか」に何か関連があるかのような誤解を生むことになるため、注意が必要である(「解」字が「牛を解体する形」に由来するが牛でなくても良かったのと同じことである)。漢字愛好家やかつての学者がこの2つを結びつけて古代の文化や価値観を探ろうと試みたが特に成果は挙げられていない。

7. 日本民間字源学の現状

今日の日本民間字源学は、「安」字について基本的に19世紀以前(第1節参照)からの進歩はない。古文字字形(第2節参照)に関する考察は行われず、また陳劍(2005)の成果(第5節参照)が反映されている様子もない。

『岩波』『漢字典』『新字源』『新漢語林』『新選』『漢字源』および円満字(2012: 11)のいずれとも、文字の構造について単に「宀+女」とし、「女性が家の中にいる」式の説明を行っている。また多くが、「賓」字の古い異体字と同定すべき甲骨文字の模写と、筆画を見逃した金文の模写をそのまま引用している。解釈の正当性以前に、『新字源』の「家の中に女がいることから、静かにとどまる、ひいて、やすらかの意を表す」、『新漢語林』の「家の中で女性がやすらぐさまから、やすらかの意味を表す」、円満字(2012: 11)の「建物の中で女性が落ち着いているところから、“心が落ち着いている”こと表す」、『新選』の「女が月経の期間……静かに過ごした習慣から、安が静かとか、安らかという意味になった」という文章は、「から」という言葉で示されている因果関係が不合理不透明である。また『新漢語林』には「安を音符に含む形声文字に、按・案・頞などがあり……これらの漢字は、「やすらぐ」の意味を共有している」とあるが、実際にはこれらの漢字(で表される単語)にそのような意味はない。*1

 

引用文献

《説文》=[後漢]許慎、[南宋]徐鉉,《説文解字
《繫傳》=[南宋]徐鍇,《説文解字繫傳》
《原始》=[清]賀崧齡,《六書原始》
《聲訂》=[清]苗夔,《説文聲訂》

《花東》=中國社會科學院考古研究所2003
《合集》=郭沫若1979
《後》=羅振玉1916
《續》=羅振玉1933
《拾》=葉玉森1925
《簠》=王襄1925

《筠清》=吴榮光1842
《金文編》=容庚1959/1985
《攈古》=吴式芬1895
《古文審》=劉心源1891
《集成》=中國社會科學院考古研究所1984
《積古》=阮元1804
《綴遺》=方濬益1935
《銘圖》=吴鎮烽2012

Boltz, William G. (1994). The Origin and Early Development of the Chinese Writing System. American Oriental Society.
禹劍(2020),《殷墟花園莊東地甲骨刻辭語言文字綜考》,天津師範大學博士學位論文。
于省吾(1979),〈釋𠣴〉,《甲骨文字釋林》,中華書局,378-380。
王襄(1920),《簠室殷契類纂》,天津博物院。
王襄(1925),《簠室殷契徵文》,天津博物院。
加藤常賢(1970),《漢字の起源》,角川書店
何琳儀(1989),《戰國文字通論》,中華書局。
何琳儀(1998),《戰國古文字典――戰國文字聲系》,中華書局。
郭沫若(1958),〈者𣱼鐘銘考釋〉,《考古學報》1958(1): 3-6。
郭沫若 主編(1979),《甲骨文合集》,中華書局。
葛亮(2022),〈説“安”“家”――分析漢字應重視早期字形〉,《漢字再發現――從舊識到新知》,上海書畫出版社,143-155。
季旭昇(2014),《説文新證》,藝文印書館。
強運開(1935),《説文古籀三補》,商務印書館。
阮元(1804),《積古齋鐘鼎彝器款識》。
湖北省博物館 編(1989),《曾侯乙墓》,文物出版社。
湖北省文物考古研究所、北京大學中文系 編(1995),《望山楚簡》,中華書局。
吴榮光(1842),《筠清館金文》。
吴式芬(1895),《攈古録金文》。
吴大澂(1896),《説文古籀補》。
吴鎮烽 編著(2012),《商周青銅器銘文暨圖像集成》,上海古籍出版社。
康殷(1979),《文字源流淺説:釋例篇》,榮寶齋。
高鴻縉(1960),《中國字例》;三民書局,2008年。
黄德寬 主編(2007),《古文字譜系疏證》,商務印書館。
山東大學東方考古研究中心、山東省文物考古研究所、濟南市考古所(2013),〈濟南市大辛莊遺址出土商代甲骨文〉,《考古》2003(6): 3-6。
島邦男(1975),《殷墟卜辭研究》,汲古書院
白川静(1969),《説文新義》;《白川静著作集》別巻,平凡社,2002年。
徐超(2022),《古漢字通解500例》,中華書局。
商承祚(1923),《殷墟文字類編》,決定不移軒。
鍾林(2017),《金文解析大字典》,三秦出版社。
齊沖天、齊小乎 編著(2010),《漢語音義字典》,中華書局。
孫亞冰(2014),《殷墟花園莊東地甲骨文例研究》,上海古籍出版社。
孫海波 編著(1934),《甲骨文編》,哈佛燕京社。
戴君仁(1964),〈跋秦權量銘〉,《中國文字》14。
高田忠周(1925),《古籀篇》,古籀篇刊行会。
中國社會科學院考古研究所 編(1984),《殷周金文集成》,中華書局。
中國社會科學院考古研究所 編著(2003),《殷墟花園莊東地甲骨》,雲南人民出版社。
中國社會科學院考古研究所、北京市文物工作隊、琉璃河考古隊(1984),〈1981—1983年琉璃河西周燕國墓地發掘簡報〉,《考古》1984(5): 405-416, 404, 481-484。
張世超、孫凌安、金國泰、馬如森 撰著(1996),《金文形義通解》,中文出版社
陳初生 編纂(1987),《金文常用字典》,陝西人民出版社。
陳劍(2005),〈説“安”字〉,《語言學論叢》31: 349-363。
陳劍(2007),《甲骨金文考釋論集》,線裝書局。
丁驌(1971),〈釋賓、安、定〉,《中國文字》39。
丁福保(1928),《説文解字詁林》。
丁佛言(1924),《説文古籀補補》。
馬敘倫(1957),《説文解字六書疏證》,科学出版社。
朴瑄壽(1912),《説文解字翼徵》。
方輝(2003),〈濟南大辛莊遺址出土商代甲骨文〉,《中國歷史文物》2003(3): 4-5。
方濬益(1935),《綴遺齋彝器考釋》。
容庚(1959),《金文編》第三版,科學出版社。
容庚(1985),《金文編》第四版,中華書局。
葉玉森(1925),《鐵雲藏龜拾遺》,五鳳硯齋。
羅君惕(2013),《説文解字探原》,中華書局。
羅振玉(1916),《殷虚書契後編》。
羅振玉(1927),《增訂殷虚書契考釋》,東方學會。
羅振玉(1933),《殷虚書契續編》。
雷煥章(1998a),〈兩個不同類別的否定詞“不”和“弗”與甲骨文中的“賓”字〉,《甲骨文發現一百周年學術研討會論文集》,中央研究院歷史語言研究所,55-60。
雷煥章(1998b),〈説“安”〉,《容庚先生百年誕辰紀念文集》,廣東人民出版社,156-163。
雷煥章(1998c),〈説“戠”、“由”、“賓”〉,《胡厚宣先生紀念文集》,科學出版社,168-174。
李學勤 主編(2012),《字源》,天津古籍出版社。
李孝定(1982),《金文詁林讀後記》,中央研究院歷史語言研究所。
劉釗(2006),《古文字構形學》,福建人民出版社。
劉釗(2011),《古文字構形學》修訂本,福建人民出版社。
劉心源(1891),《古文審》。
林義光(1920),《文源》;中西書局,2012年。

『岩波』…山口明穂、竹田晃 編(2014)、『岩波 新漢語辞典』第三版,岩波書店
『漢字源』…藤堂明保、松本昭、竹田晃、加納喜光 編(2018),『漢字源』改訂第六版,学研。
『漢辞海』…戸川芳郎 監修、佐藤進、濱口富士雄 編(2017),『全訳漢辞海』第四版,三省堂
『漢字典』…小和田顯、遠藤哲夫、伊東倫厚、宇野茂彥、大島 晃 編(2014),『旺文社漢字典』第三版,旺文社。
『新漢語林』…鎌田正、米山寅太郎(2011),『新漢語林』第二版,大修館書店。
『新字源』…小川環樹、西田太一郎、赤塚忠、阿辻哲次釜谷武志、木津祐子 編(2017),『角川新字源』改訂新版,角川書店
『新選』…小林信明 編(2022),『新選漢和辞典』第八版(新装版),小学館
円満字二郎(2012),『漢字ときあかし辞典』,研究社。

*1:付記:語源の考察は本稿の対象外であるが、関心のある人が民間語源に騙されてしまわないように念のために書いておく。
『漢字源』では「語源」として「コアイメージ」(編者の加納氏が考案した概念)理論が説かれている。『漢字源』には{安}が{宴}や{遏}と「同源」であると書かれており、「安」の「同源語」として{按}{案}{鞍}{頞}などが挙げられているが、『漢字源』で言う「同源」とは「コアイメージ」(再度言うが、編者の加納氏が考案した概念)が共通しているもののことである。それに対して、一般的な語源の議論において「英単語の「sit」「seat」「settle」「nest」は同源である」という場合は通常、これらの単語のコアイメージが共通しているなどという意味ではなく、これらの単語形成の歴史を遡ると究極的には1つの語根(この場合はインド・ヨーロッパ祖語の「*sed-」)のもとにたどり着くという意味である。
個々の単語には個々の歴史がある。インド・ヨーロッパ祖語の語根「*sed-」がどのようにして現在の諸々の英単語を生み出したか(例えば、「sit」はie型現在語幹に由来しゲルマン祖語「*setjan-」を経由して云々、「nest」は接頭辞「*ni- 下」を伴うゼロ階梯形に由来しゲルマン祖語「*nista-」を経由して云々、など)を説明するのが語源説であり、その一つ一つの過程を検証することによってその語源説全体の確からしさを検証することができる(確からしさの低い部分を改良することでその語源説を洗練させることができる)。音と意味が漠然と似ているだけの単語をその基準を明らかにすることなくひとまとめにして共通コアイメージに由来すると主張することは、検証可能ではなく、各単語の歴史を明らかにすることに貢献しない。
{安}と{按}の場合、この2つの単語が同源であるというのは(偶然にも)正しいが、その関係はコアイメージの共通性によって正当化されるものではない。コアイメージ理論とは対照的に、「{買 *mrˤajʔ 買う}に使役接尾辞「*-s」を付加して{賣 *mrˤajʔs 売る(=買わせる)}が派生したのと同様に、{安 *ʔˤan 座る}に使役接尾辞「*-s」を付加して{按 *ʔˤans おさえる(=座らせる)}が派生した」と説明することには価値がある。ちなみにこれは、現代中国語の視点から言えば、「安 ān」が第一声で発音されるのに対して「按 àn」が第四声で発音される遠因である。「{安}と{按}は共通のコアイメージに由来する」という具体性のない主張は、2つの単語の意味の違いも発音の違いも説明しない。学術的には、{安 *ʔˤan 座る}と{頞 *ʔˤat 鼻筋}の意味の違いと末子音の違いをもたらしたものが何なのかを考えることなしにこの2つの単語を同源と呼ぶことはできない。