古代漢字学習ブログ @kanji_jigen

古文字(古代の漢字)の研究に関するメモ

「卯」の字源と古文字学、そして「単語家族説」

2023年は卯年だそうです。そこで「卯」にまつわる文章を書くことにします。

「卯」という文字の字源は現在でも明らかではありません。本記事では明らかではない理由を軽く説明します。

1. 「卯」の古文字字形

「卯」という字の古い形は以下のようになっています。

「卯」字の商金文、師組甲骨文、賓組甲骨文、西周金文

ここであげた古文字は甲骨文や金文でも十二支の4番目に用いられており、現在の形(「卯」)に至る変化過程も明らかですので、これらの字が現在の「卯」字の古い形であることは間違いありません*1

一般に甲骨文の字形は両側が「」と角ばってますが、これは効率化(甲骨に刀で刻む場合直線は書きやすく曲線は書きづらい)のために筆画が簡略化されたもので、初期の甲骨文(上掲の師組甲骨文参照)や金文の形は「」と丸まっています。

2. 『説文解字』の「卯」の説明と「表意文字の誤謬」

説文解字』の「卯」字の項目には、「門を開ける形」を象った字だと書いてあります。この説明には二つの問題があります。

まず、初期の漢字を作ったり流行らせたりした人々は、門戸を「」と描きました(描くことに決めました)。原則、同じ物は同じように描かれ、違う描かれ方をしたものは違う物です。単体の「」はのちに「戸」という形になり、両開きの「」はのちに「門」という形になりました。「卯」はこれとは異なる形なので、少なくとも漢字を作ったり流行らせたりした人々は門戸をいろんな形で描いたのだという証拠が得られるまでは、「卯」が「門を開ける」形を描いたものだという主張には説得力がありません。

そして、多くの人が勘違いしていて、それゆえ最大の問題は、「「卯」字は門を開ける形を象った字だ」というような「○という字は△△の形を象った字だ」タイプの主張は、字源の説明としてはきわめて不十分なものである、というより、なんら「字源の説明」にはなっていないということです。

漢字というのは、漢語(中国語)という言語を表記するために生み出されたシステムで、それぞれの文字は、ある特定の「単語」を表すために作られました。例えば、「魚」という文字は、魚類や水生生物に関する曖昧で漠然とした概念を表すために作られたのではなく、「さかな(fish)」という意味を持ち/ŋa/のように発音される単語(名詞)を表すために作られました。したがって、「字源の説明」というのは、その文字が当初表していた単語を特定する作業を伴わなければならないのであり、「○という字は△△の形を象った字だ」というのはそれを果たしていないので、不十分なのです。すなわち、「「卯」字は門を開ける形を象った字だ」の例で言えば、結局「卯」という字は何の単語を表すために作られたのかが説明できていないということです。また、この場合、なぜ「門を開ける形」の字が十二支の4番目という意味を持つ{*mˤruʔ}という単語を表記するのに使われているのか、という謎は残されています*2

(言語との関係に関して言及されないままの)「○という字は△△の形を象った字だ」という主張は、実際には「私には○という字の形が△△の形に見えます」の言い換えであり、それは単に「あなたには何に見えますか?」というアンケートや連想ゲームやロールシャッハテストに回答しただけであり、ただの主観的感想であり、「字源の説明」ではありません。

「○という字は△△の形を象った字だ」という主張が「字源の説明」を果たしているかのように多くの人が錯覚してしまうのは、一つには漢字を「言語に依存せず漠然とした概念を直接表せる表意文字」だと勘違いしており、「漢語という言語を表すために作られた表語文字」だとは知らないということから来ます。このような勘違いを「表意文字の誤謬」*3と呼びます。これに権威主義洞窟のイドラ)が加わって、人々を魅了する疑似科学となるのです。

結局のところ、大部分の民間字源は次のようなプロセスで発明されて正当化されます。まず、「あなたには○という字の形が何に見えますか?」というアンケートに対する回答を用意し、そしてそれを「○という字は△△を象った字だ」の△に当てはめて主張し、更に「○という字は本来△△という意味だった」と言います(なぜなら多くの「表意文字の誤謬」に陥っている人にとって、「字が△△を象っている」と「字が△△を意味する」は全く同じことだからです)。もしもそれに対して私のような人間に「漢字は表意文字ではなく表語文字であり、この言語に△△という意味は確認されていませんよ」などと反論されると、「○という字は□□という意味の用例しか確認されていないが、これは△△という意味から派生したものである。残念ながら△△という最古の意味はその古さゆえに現在に痕跡を残すこと無く消えてしまった。しかし○という字が△△を象った字であることがその唯一の証拠である」と言い直すのです。最後の手段によってこの△△には事実上あらゆる事柄を詰め込むことができ、それゆえに民間字源における最強のプロセスに成長しました。

かつて郭沫若は「「民」字は目に針を刺した形を象った字だ」と主張し、すなわちこの字は「目に針を刺された奴隷」という意味を表すと主張しました。これは権威主義洞窟のイドラ)によって大きく広まりましたが、実際には単に「あなたには「民」という字の形が何に見えますか?」というアンケートに対する「私には目に針を刺した形に見えます」という回答の言い換えであり、郭沫若の主観的感想です。「民」という字がそのような意味で使われた例は存在しませんが、「現在に痕跡を残すこと無く消えてしまった」という最強プロセスにより現在も生き残っています。

3. 『文源』の「卯」の説明と表音文字的用法

1920年の林義光 『文源』では、「「卯」という字は「鍪」の本字である」と主張されています。この主張は、詳細に言い換えれば、「卯」という字は{*mu}という単語(現代では「鍪」という字で表記される)を表すために作られた字だ、ということです。なお、{*mu}という単語の意味は「兜、ヘルメット」です。

多くの人が「表意文字の誤謬」の影響で抱いている漢字に対する印象とは反対に、圧倒的多数の象形漢字は、特定の単語を表す(すなわち表語文字)以外に表音文字としても用いられています。表音文字が表す音は、もとその字が表していた単語に由来します。すなわち、「魚」という文字は、(「さかな」という意味の){*ŋa}という単語を表記するのみならず、この単語に似た/ŋa/のような発音(を持つ別の単語)を表記するのにも用いられました。

「卯」という字が(「十二支の4番目」という意味の){*mˤruʔ}という単語に用いられるのは、表音文字の用法*4であるということは今日の古文字学者の一致した見解です。この単語(の「十二支の4番目」という意味)を象形文字として描くことは難しいからです。十二支の漢字表記はすべて表音文字の用法と考えられます。例えば、「寅」は{*l̥iʔ}という単語(意味は「矢」)を表すために作られた文字で、そこから/li(ŋ)/のような音を表す表音文字としての用法を獲得し、そのため(「十二支の3番目」という意味の){*liŋ}という単語の表記に用いられている、というのが今日の古文字学の定説です*5

「卯」という字が表音文字として{*mˤruʔ}に用いられているということは、逆に言えば、この字が当初表していた単語は{*mˤruʔ}と同じような発音だったと推定されます。林義光が「卯」という字が{*mu}という単語を表すために作られた字だと提案したのは、そのような理由によるものです。

林義光は最終的に「「卯」字は兜を象った字だ」と主張していますが、これは「私には「卯」という字の形が兜の形に見えます」という意味ではありません。彼の「「卯」字は兜を象った字だ」は{*mu}という実在が確かな単語を背景にしたものであるため、「字源の説明」を果たしています(もちろん、その説明が正しいもの、つまり合理的で説得力あるものなのかどうかは別の話です)。

初期の漢字を作ったり流行らせたりした人々は、兜は後に「冃」となる形(「帽」「冕」「冑」などに含まれる)で描いたようであり、「卯」はこれとは異なる形なので、「卯」は兜を描いたものではないでしょう。

4. 「卯」字の甲骨文における用法

「卯」という字は{*mˤruʔ}(十二支の4番目)の漢字表記に用いられますが、甲骨文ではもう一つ重要な用法があります。祭祀において犠牲動物を目的語にとる動詞で、一般には{*ru}という単語(意味は「殺す」、現代では「劉」と表記)を表記したものと解釈されています(先に挙げた二つの「卯」の甲骨文字はどちらもこの用法で使われています)*6

「卯」字が甲骨文で{*ru}(殺す)の表記に使われていることから、「卯」が何かを切断した形に由来するという主張が、1920年代以降多く存在します。言葉で説明しづらいですが、下図のようなことが言いたいようです。

イメージ図

もしこのようなイメージで作られたとしたら、この字形の中央の二つの縦棒は直線でなければならないと思われますが、冒頭に挙げた甲骨文と金文の字形を比較すると、金文の字形の該当部分は互いに反るように曲がっていて、甲骨文が直線になっているのは単に筆画の効率化のためであるようです。

『新字源』の「卯」字の項目には、「刀を横に二つ並べたさまにかたどる」と書かれています。初期の漢字を作ったり流行らせたりした人々は、刀を「」のような形で描きました。「卯」はこれとは異なる形なので、「卯」は刀を描いたものではないでしょう。よく考えると、「殺す」を図化するのに、「刀を横に二つ並べた」形を採用した理由も謎です。

「卯」字が甲骨文で{*ru}の表記に使われているからといって、「卯」字が{*ru}を表すために作られたとは限りません。十二支の用法に同じことが言えます。また逆に、例えば、「我」という字は{*gaj}という単語(意味は「ノコギリ」)を表すために作られた字であるというのは今日の古文字学者の一致した見解ですが、甲骨文で「我」が{*gaj}を表記する実例はありません。理論全体のエレガントさ(説明力、一般性、一貫性、豊穣性、予測性など)が重要であり、表記の実例の有無はあまり重要ではありません。

 

私は今のところ、「卯」字が{*ru}(殺す)の同音異義語である、別の{*ru}という単語(意味は「腫瘍、腫れ、こぶ」、現代では「瘤」と表記)を表すために作られた字だという説に見込みを感じます。甲骨文には{*ʔeŋʔ}という単語(意味は「首の腫瘍」、現代では「癭」と表記)の表語文字が存在します。

{*ʔeŋʔ}(首の腫瘍)の表語文字

この文字は象形文字で、その形は首に腫瘍のある人を描いたものですが、腫瘍の部分は「卯」の片側に似ています。仮に「卯」の片側が腫瘍を描いたものだったとしても、「卯」において腫瘍が対になっている理由は謎です。

 

結局のところ、「卯」という文字の字源は現在でも明らかではありません。

5. 付記:「単語家族説」

日本の民間漢字学では、「単語家族説」なるものを掲げる、藤堂明保を主とする根強い「学派」が存在します。もしこの記事の読者が日本民間漢字学に精通していなければ、まず単語家族がなんなのかについての説明が必要でしょう。

実際のところ藤堂は他人(少なくとも私)にわかるようにはそれを説明してはくれませんでした。しかし、私の理解の及ばぬ点を含めてここに書くことで、「学派」の親切な内通者が解説してくれるかもしれません。

5.1 藤堂流「単語家族」の謎

漢語歴史音韻学における「単語家族」という用語は、カールグレン*7やウォルフェンデン*8に由来すると思われ、藤堂明保自身は1965年の『漢字語源辞典』のまえがきで次のように述べています。

「単語家族」とは、お互いに似た語形と共通の基本義とを持つ形態素の集まりであり、簡単に言えば「親類と思われる単語のグループ」のことである。

藤堂のこの文章は、「単語家族」とは発音と意味がなんとなく似ている単語を寄せ集めたものという印象を受けます。『漢字語源辞典』63頁では、現代北京人は{chā}と{chá}と{chà}という3つの単語を一括りにして考えているというような主張があり(その主張の是非は置いておきましょう)、その後単語家族の核のようなものは「古代人の脳中に蓄えられていた」とあります。藤堂が、「古代人」や現代北京人は単語の真の語源を把握していると考えていたのか、そうではなく、藤堂の言う「単語家族」や「語源」というのは、言語の実際の歴史ではなく、単にある時点におけるその言語話者の民間語源学の話なのか、私にはわかりません。最も好意的に解釈すると、藤堂は「民間語源は常に歴史的な真の語源を言い当てている」という、最もありそうもないことを考えていたように思われます*9

「単語家族」という用語がカールグレンに由来するのであれば、彼は「同じ語幹から形成された同根語のグループ」と述べているので、音と意味がなんとなく似ている単語や民間語源を形成している単語同士のグループではなく、歴史的に同じ語根(ないし語幹)から派生してできた単語でできるグループということになります。

英語で言えば、{man}の頭に女性を表す言葉がくっつくと{woman}になり*10、この二つはカールグレンの意味で単語家族でしょう。今ではかなり多くの人が{male}と{female}は語源的に関連していると思いこんでいそうですが、実際の歴史的には無関係なので、カールグレンの意味で単語家族ではありません。{male}と{female}が藤堂の意味で単語家族なのかどうかは謎です。

英語の{cipher}と{zero}は意味も音もぜんぜん違うように思われますが、語源的に関連しているカールグレンの意味での単語家族です。藤堂の意味で単語家族なのかどうかは謎です。

どちらにしても藤堂が「単語家族っぽいが単語家族ではない」「単語家族っぽくなさそうだが単語家族である」例をどのように選別したのかは謎です。藤堂がある単語セットが与えられたときにどのように単語家族を構成するのかに関する手続きを説明してくれなかったために、単語家族とは何なのか曖昧なまま、日本の民間漢字学において「単語家族説」は単語家族に基づいて新たな理解を促進するような理論のことではなく「藤堂の言ったこと」という意味になったと言ってよいでしょう。

5.2 加納の「コアイメージ」

加納喜光氏は藤堂の一番弟子を自称しており、藤堂の考えを発展させたというようなことを言っています。

加納は2014年に『漢字語源語義辞典』で次のように述べています。

白川静の方法は[……]字形の解釈をそのまま意味とするという大きな誤りを犯した。

語義とは漢語の意味である。これを字義というのは[……]漢字を理解しがたくする。

語の意味は文脈から独立して存在するのではなく、文脈における使い方にほかならない。

この文章は(少なくとも私が受け取る限り表面上)正しい指摘を行っています。すなわち、漢字とは漢語を表す文字であり、だからこそ「「卯」字は門を開ける形を象った字だ」というのは何の説明になっていないのです。私は、多くの「表意文字の誤謬」に陥っている人にとって、「字が△△を象っている」と「字が△△を意味する」は全く同じことであると述べました。郭沫若は「「民」字は目に針を刺した形を象った字だ」と「「民」字は「目に針を刺された奴隷」という意味だ」を同時に主張しました。西暦3023年の研究者が、「民」字が「目に針を刺された奴隷」を意味する単語の表記に使われている実例の革命的発見をするかもしれませんが、西暦3022年以前にそれを主張することを科学は許可しません。ともかく革命的発見があろうとなかろうと、「「民」字は「目に針を刺された奴隷」という意味だった、証拠にこの字は目に針を刺した形を象っている」という主張は「字形の解釈をそのまま意味とするという大きな誤り」です。

引用した加納の文章は、表面上私に同調して、「目に針を刺された奴隷」を批判するもののように思われますが、そうではないようです。彼はイメージという概念を提案しました。加納が使う「コアイメージ」という用語はこのように説明されています。

[単語の意味]を実現させる深層のイメージがあると考え、これをコアイメージと名づける。[……]コアイメージが具体的な文脈で現れたのが「実現される意味」である。

この「コアイメージ」は藤堂の文章に出てきた「基本義」を受け継いだものとされています。藤堂は、(真の語源か民間語源かはともかく)単語家族に属する単語が共通する概念を共有すると考え、それを「基本義」と呼びました。「コアイメージ」は「基本義」と違って、あらゆる単語が個別に持つ(一つの単語が複数持つことも許可される)ものです。「基本義」「コアイメージ」は「単語の意味」ではないので、文脈における使い方とは無関係に、文脈から独立して存在することができます。

どういうことかというと、加納は他人の説を批判するときは「そのような意味はありません」と正しく(しかしときに正しくない)指摘する一方で、自分が同じ理由で批判されたときには「これは表面には現れない深層意識、コアイメージです」と答えることができるようになったということです*11

例えば、加納は「民」に対して「目が見えない」というコアイメージを設定し、単語の意味としては「一般大衆」として実現され、文字の形としては「目に針を刺した形」として実現されたと主張しました。コアイメージから「一般大衆」や「目に針を刺した形」に至るまでのすべての過程は闇の中で行われました。

5.3 「卯」の「単語家族説」

大きな回り道から「卯」の話に戻りましょう。

藤堂は『漢字語源辞典』で「卯」に対して、次のように述べています(240、241頁)。なお、門戸については既に述べたとおりです。1965年という時代を考えると古文字字形に対する杜撰さはよくあることでしょう*12

卯は、何の形だか明白でない。しかし何かを押し開いた形に違いない。朱駿声は扉を押しあけた姿だと言うが、それでもよい。

おしあける、むりにおかし入る意を含む。冒と同系のコトバ。

これは、「○という字は△△を象った字だ」を「○という字は本来△△という意味だった」と言い換えただけでしょう。「卯」という字が「おしあける」「むりにおかし入る」という意味の単語を表すために作られた字だと主張するためには、その単語の実在性の証明(既に述べたようにその綴りは「卯」でなくてもよい)、加納が言う「文脈における使い方」を示し、かつ、なぜその字が十二支の4番目という意味を持つ{*mˤruʔ}という単語を表記するのに使われているのか、という謎を説明しなければなりません。

藤堂は最後に「冒と同系のコトバ」と書いています。「卯」字が表すという「おしあける」「むりにおかし入る」という意味の単語の実在は疑わしいですが、「卯」が属する「単語家族」には発音と意味がなんとなく似ている単語がたくさん入っており、その中で「卯」は「冒」とのみ「同系」とされています。『漢字語源辞典』では複数の字が同じ単語を表す場合は「○とも書く」と表記されるので、「同系」は「同じ」という意味ではありません。「同系」とされた2つの単語が別々の単語家族に属することすらあります。「同系」は藤堂がどこでも説明していない謎の用語です。

 

加納は「卯」に「両側に開く」というコアイメージがあるとしています(『漢字語源語義辞典』1183頁)。

卯のグループ全体を概括するコアイメージは「閉じたものを両側に開く」というイメージで、ここから「隙間を空けて通る」「するすると滑る」というイメージ、また、「隙間がなく止まる」というイメージに展開する。

コアイメージは定義上実在しないもの(「古代人」と加納喜光氏の脳内にのみ存在する)なので実在性の証明は不可能です。また、コアイメージから意味の実現までにはあらゆる回数のあらゆるジャンルの「転換」が許可されていることがわかります。「両側に開く」というコアイメージが「隙間を空けて通る」イメージだけでなく「隙間がなく止まる」というイメージにも展開することは驚きしかありません。加納は藤堂と違って「冒」を「卯」とは別のグループに所属させましたが、こうして考えると、「冒」が「卯」のグループに属さないことを確かめる方法はないように思われます*13

 

 

*1:反対に、例えば現代の漢和辞典で「幸」字を引くと、この字の甲骨文として「」という字が載っていることがありますが、実際にはこの「」は「幸」字とは無関係の別字です。

*2:古文字学および漢語音韻学では一般に、文中において単語を示すのに波括弧{}を使います。ここで書いた{*mˤruʔ}というのは、上古時代に/mˤruʔ/のように発音された単語ということです。

*3:Boltz, William G. (2015). Ideographic Fallacy: Historical and Conceptual Issues. In: Rint Sybesma, et al (eds.). Encyclopedia of Chinese Language and Linguistics.

*4:古文字学者はこの用法を伝統的な用語である「仮借」と呼ぶのを好みます。

*5:ちなみに、十二支に動物が割り当てられたのは漢字が生まれてから何百年もあとのことです。なので、現代の漢和辞典にしばしば載っている「「巳」はヘビの形」「「亥」はイノシシの形」等は時代錯誤を含んだ誤りです。前者の例についてさらに言えば、「巳」字が十二支の6番目の表記に使われだしたのも、「巳」字が生まれてから後のことです。

*6:なお、この用法はしばしば「祭祀名」などという括り方をされることがありますが、これは{*ru}が祭祀の「名称、呼び名」すなわち固有名詞であるかのような印象をあたえるので適当ではないでしょう。犠牲動物を目的語にとっている以上、これは固有名詞でも「祭祀を行う」のような意味の自動詞でもなく、「OをVする」というような意味の他動詞です(形容詞・名詞的な用法もありますが、いずれにせよ犠牲動物に対する何らかの動作行為か、その動作行為の結果です)。祭祀に伴って犠牲となる家畜を殺す行為が行われただけであって、その行為自体が儀式として形式化されていたとしても(すなわち文脈上この単語が「Oを殺す」という意味ではなく「Oを祭祀行動の一環として殺す」という意味だったとしても)、「祭祀名」という括り方をされるべき単語ではありません。最近では、より適切なラベルとして「犠牲動詞」という言い方があります。

*7:Karlgren, Bernhard. (1933). Word families in Chinese. Bulletin of the Museum of Far Eastern Antiquities 5: 9-120.

*8:Wolfenden, Stuart N. (1938). Concerning the origins of Tibetan brgia̯d and Chinese 八 pwât “EIGHT”. T’oung Pao 34.3: 165-173.

*9:これは加納喜光氏が現在でも行っている発言にも言えます

*10:この例は分かりやすくするために正確性を欠いています。

*11:リンクは貼りませんが、彼のブログではその豊富な例を見ることができます。

*12:古文字学が広く緻密さを身につけたのは1980年代からです。

*13:なお実際には、加納のグループ分けは、音や意味ではなく字の形によって行われています。これはおそらく「初期の漢字を作ったり流行らせたりした人々は真の語源を知っており、かつその知識に忠実に基づいて文字を作った」という誤った思想に基づいています。