古代漢字学習ブログ @kanji_jigen

古文字(古代の漢字)の研究に関するメモ

殷墟甲骨文中の月食の記録

20世紀の考古発掘によって、安陽殷墟から3000年以上前に刻まれた甲骨文が大量に発見されました。その中には月食について記録されたものもあります。《丙篇》から引用されたものを2つ紹介します。

 

《合集》11484正(《丙篇》57、《契合集》382)

《合集》11484正(部分)

《合集》11484正(部分)

《契合集》382(摹本)(部分)

《契合集》382(摹本)(部分)

□丑卜,𡧊貞:翼(翌)乙〼黍登于祖乙〼。王占曰:㞢(有)求(咎)〼不其雨。六日〼午夕月㞢(有)食。乙未𫹉,多工率遭遣(譴)。
(□丑日に卜し、𡧊が検証した、「(私達は)次の乙□日に、祖乙に黍を進める(べきである)。」。王が卜兆を見て言った、「災いがある。……雨が降らないだろう。」。六日目の□午日、夕刻に月に食があった。乙未日に𫹉祭を行い、多くの工官がみな災難に遭遇した。)

甲骨文ではしばしば「月有食」のような文句で月食があったことが記録されています。この亀版では、占卜を行って六日目の日の「夕」の時間帯に月食があったことを記録しています。亀版の上部が欠けていることもあり、この卜辞の月食以外の部分の解釈は正確ではないかもしれません*1

「夕」は夜のある特定の時間帯を指す言葉だったようです。「夕」字と「月」字はともに月の形の象形字ですが、拓本画像を見ればわかるように、この時代(武丁期)の甲骨文では、字の中央部に縦線のない「夕」字を{月}に、中間に縦線を加えた「月」字を{夕}に用いています。この習慣は末期に逆になり、現在につながります。

「食」字は「簋」という食器にもられた食べ物を上から口が食べようとしている形です。ちなみに、「食」の下部の食器を酒の容器の形である「酉」に換えた「酓」字は{飲}に用いられます。

 

《合集》11483正(《丙篇》59)

《合集》11483正(部分)

《合集》11483正(部分)

↓[癸]未卜,争貞:翼(翌)甲申易日。之夕月㞢(有)食。甲𱁇(陰)不雨。
(癸未日に卜し、争が検証した、「次の甲申日に(太陽を授かる⇒)晴天に転じる」。この夕刻に月に食があった。甲(申)日は曇ったが雨は降らなかった。)

↑[貞]:翼(翌)甲申不其易日。
(検証した、「次の甲申日に(太陽を授かる⇒)晴天に転じないかもしれない。」)

この亀版では、翌日晴れるか晴れないかを占っていますが、その日の晩に月食があったことを記録しています。上部が欠けていますが、文脈により欠けている字が明らかであるため補っています。

右側では「晴れる」と述べ、左側では「晴れないかもしれない」と述べています。このように左右にそれぞれ肯定否定の内容が刻まれている占卜を「対貞」と呼びます。ここでは、占卜を行った人たち(殷国家)は晴れることを望んでいるため、左側「晴れない」の方は推量の「其(かもしれない)」を加えて語調を弱めています。

 

*1:【参考】陳劍:《釋造》;《甲骨金文考釋論集》,線裝書局,2007年5月,第147-148頁。高嶋謙一:《殷墟文字丙編研究》,中研院史語所,2010年12月,上册第188頁。