漢字の成り立ちの説明、というよりあらゆる現象の説明には、ピンからキリまでいろいろな説があります。各説に対して「これは誤りです、これは正しいです」のようなことを言うと、しばしば「どれが正しいかはわからない」的なコメントがくることがあります。
実際にはこういうことを言う人の中には『学術的態度をはなから放棄して自分の信仰する考え方を絶対正義としていて異を唱える人は悪とみなす』的な人が少なくなく、そういう人を学者が説得することは不可能です。しかし、それを見ている浮動的な立場の第三者が誤った道に進まないように、「どれが正しいかはわからない」的態度のよくなさを説明しておくことは重要ですので、そうした話題もこのブログにメモしておきます。
このことについて日本語学者の飯間浩明氏が良い解答をしているので、一つ引用します。
語源に関する説の適否について論じた際、「諸説があり、どれが真実とは決められないのでは」という意見を目にしました。「諸説」はすべて同じ重みを持つわけではありません。「妥当でない」と明白に証明できるものがあり、それはフェイクとして除外しなければなりませんよ、という話をしたのです。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2018年6月8日
飯間氏がこのツリーで「妥当性」と呼んでいるものを私は「合理性」と呼んでいます。
試験の点数で「優/良/可/不可」と評価されるがごとく、「諸説」はみなそれぞれ合理性という観点から点数がつけられて、一定の合理性を有するものが正しいと評価され、合理性を有さないものは誤りと評価される、というわけですね(二段階評価がされるという意味ではない)。そして「みんな頑張ってるから点数はつけません!」とかにはならないわけです。